世間的にバレンタインデーである2月14日は、ファンの方々の間では『運命の日』とも呼ばれる、高橋大輔選手とフィギュアスケートととの出会いの日。
そこから29年後の現在も、大好きなフィギュアスケートを続けてくれる高橋選手に、祝福と感謝の声が寄せられています。
13日まで行なわれていた四大陸選手権において、高地という厳しい環境の中、パートナーの村元哉中選手とともに素敵な演技を披露してくれていた高橋選手。
そんな高橋選手にとって、今から29年前のこの日は、初めてスケート靴を履き、スケートを始めた特別な日。
高橋選手自身が、幼稚園から小学校卒業までつけていたという日記に残されていた記録では、29年前の小学2年生の高橋選手が、地元・倉敷のアイスリンク「ウェルサンピア倉敷」でスケートを楽しんだことが、次のように書き綴られていました。
「先生に、スケートの滑り方とかを教えてもらいました。楽しくなってきて、いっぱいしました。また行って、一緒に練習をしたいです」と素直な言葉で当時の気持ちが書かれており、現在と変わらずスケートを楽しむ様子や、その高い向上心を覗かせてくれていました。
その後、全国有望新人発掘合宿、いわゆる野辺山合宿で、その高い素質を見出された高橋選手は名コーチらと出会い、メキメキと力をつけ、次々と大会を制覇。
2002年には、世界ジュニア選手権において、日本男子シングルとして初優勝を飾っていました。
また2006年のこの日には、自身初出場となっていたトリノオリンピックで初演技を披露。
プレッシャーのかかる、ショートプログラムを1番滑走として挑み、トリプルアクセルでミスがあったものの、それ以外で魅せる演技を披露し、日本中に感動を届けてくれていました。
さらに4年後、2010年のこの日も、男子シングルとして、冬季オリンピックの史上初メダルとなる銅メダルを獲得。
バンクーバー大会で、フリー「道」を演じ、まさに日本人フィギュアスケーターとしての「道」を切り開いた演技となっていました。
3年前には、高橋選手もこの日のことを、自身のSNSで語っており、
「2月14日、本日でスケートを始めて26年たったみたい。この時に、今もスケートしてると思ってもいなかったし、フロリダで、アイスダンスを始めてるとも思いもしなかった。
ほんと、人生何が起こるか分かりません。おもしろいね。
今まで応援してくださった方に感謝しています。これからもよろしくお願いします!ふと、載せたくなった今日です」
と幼い頃の写真とともに、その時の想いと、感謝の言葉を綴ってくれていました。
この『運命の日』である2月14日には、SNS上に多くのファンの方々から、高橋選手に対する感謝の言葉や、これからの演技に期待する声など、多くのメッセージが寄せられていました。