今年も7月13日から、長野・野辺山でスタートした全国有望新人発掘合宿、通称「野辺山合宿」。
フィギュアスケーターの登竜門ともいえるこの合宿は、海外では『パワーハウス』と呼ばれ恐れられており、ここに参加した羽生結弦さんの作文に感動の声が寄せられています。
1992年から開催され、若き日の羽生さんをはじめ、現在でも世界で大活躍する多くのトップスケーターたちを数多く輩出してきたこの合宿。
今年も日本スケート連盟主催で、標高の高い長野県の野辺山高原を会場に、13日から20日までの日程で合宿がスタートしました。
1998年の長野オリンピックに向けて、選手強化を図る目的でスタートしたこの合宿は、その年の6月30日の時点で8歳から12歳までの、いわゆるノービスの選手たち約100名が対象となっており、全国から選抜され、将来の金メダリストを育てる目的で開催されています。
この合宿では、氷上での演技やジャンプなどの技術面の練習に加え、陸上トレーニングやリズムと表現のチェック、身体能力を測るテストなども実施され、ここで優秀だと認められた選手たちは、全日本ノービス選手権への推薦出場や全日本ジュニア強化合宿への参加が可能に…。
昨年、この合宿で特別コーチを務めたカロリーナ・コストナーさんは
「日本には羽生結弦さんのように偉大な選手がいますが、みんなこの野辺山合宿を通ってきたんですね。
これから先もここから、大勢のチャンピオンが誕生するのは間違いないでしょう!」
と大絶賛。
そんな合宿に参加していた羽生さんですが、当時は特段光るものがあった訳ではなかったそうです。
この頃は、3選手を強化対象として選抜しており、田中刑事さんや日野龍樹さんはすんなり決まったものの、羽生さんについては、迷った末の3番目として選出されたとのこと。
しかし当時9歳の羽生さんは、音楽に合わせて体を動かす能力が、他の子よりも長けていたと言い、そこからは人一倍の負けん気と努力で練習に練習を重ね、今や世界の頂点に君臨し、その演技は唯一無二と言われるまでに大きく成長。
中学生で参加したことを記した作文では、仙台からここまで10時間以上かけて通ったことや、厳しいトレーニングを仲間たちと乗り越えたこと、さらに演技などが評価され最終日にシード選手として選ばれたことなどが書き記され、
「この合宿の氷上で、僕は新たな一歩を踏み出した!」
と当時の感動を表していました。
この羽生さんの作文をご覧になったファンの方々からは、
「この頃から既に強い意志をもち、夢に向かって頑張っていたんだな♪」といった称賛の声に加え、
「羽生さんには、ぜひ指導者として野辺山合宿に参加してほしい!」といった期待の声も寄せられていました。
今では続々と有力選手を輩出することから、海外では『パワーハウス』とも呼ばれるこの合宿は、今年は7月13日から20日の日程で、野辺山にある帝山アイススケートトレーニングセンターで開催されています。